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話すことで楽になる。聴くことによって安心する。

だいぶ昔の話になりますが、子供の高校のPTAのクラス懇談会に出席したことがあります。

その際、聞いたのがタイトルにある「話すことで楽になる。聴くことによって安心する。」という言葉です。

 

当時、私は何事も“仕事頭”で考えていましたから、子供にまつわる保護者の悩みを耳にして、「具体的に問題点をあげて、悩みを解決する方法をみんなで出し合えばいいのでは?」と思い、そのような進行を意見してみました。

 

しかし、集まった保護者のみんなの反応はよくありません。

クラスはシーンと静まり返っています。

 

そのあと、小グループに分かれてのディスカッションとなりました。

先ほどとはうってかわって、みんな活発に話しています。

 

「うちの子はこんな毎日で困っている・・・」

「うちの子は部活に明け暮れてまったく勉強をしない」

などなど。

そこには深いうなずきあり、笑いあり、心配顔あり、安堵の表情ありで実に楽しそう。

そして時間もあっという間に過ぎ、今日の感想を各々が話す段となり、その中で冒頭の言葉がありました。

 

「『話すことで楽になる。聴くことによって安心する。』という言葉を聞いたことがあるのですが、今日はまさにそのような会でとても有意義な時間をいただきました。」

 

そのときです。こうして満足した周囲の顔を見て、私は「直線的な問題解決を求めていないこともあるのだ」と気づかされました。

 

それは悩みの根本が自分ではなく、子供の成長と未来にあるからなのかもしれません。

心配ではあるものの、それは子供が自分で乗り越えていくもの。

子供の自主性を尊重・期待したいという想いがあるのだと思います。

 

ただ心配は心配なので、「うちの子だけが・・・」という考えがどうしてもよぎります。

その抱え込んだストレスを誰かに話すことで楽になり、同じような境遇の人の様子を聞くことで安心感を得る。

こうして心の安定を取り戻し、子供への干渉を抑えながら自主性を育む「見守る」スタンスでいることができる。

 

それが真に求められていた問題の解決なんだなあと気づきました。

 

この経験によって、私の視野はグーー-ンと広がりました。

具体論的な解決策というのは最後の最後、必要かもしれないけれど、本当に根底に必要としているのは問題に向き合う心構えと心の安定性。それは頭でひねり出すものではなく、誰かとの共感的理解がもたらしてくれるものなんだ、と。

 

みなさんの周りに話を聴いてくれる誰かがいるとすれば、その人はあなたに大きなチカラを与えてくれる存在。

その人をずっと大切にしてあげてくださいね。