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人は見たいものしか見えない

クルマを新しく買ったとします。

すると、どういうわけか自分と同じ車種のクルマが街中でやたらと目につくようになる。

そんな経験はありませんか?

 

街中にはたくさんのクルマが走っているのに、自分と同じ車種は瞬時に気づきます。

これは脳の中で、自分のクルマのデザインがパターン認識されたせい。

関心が高く、繰り返しそのデザインをみているうちに、特定の神経回路が頻度高く使われて定着した結果ですね。

 

すると、自分と同じ車種に乗っている人は意外と多いな・・・人気あるな・・・と思ったりもします。

でもその車種に乗っていない人は、そのクルマを見かけたことがないと思っている人も大勢います。

実際にたくさん走っていて、視界に入っていたとしても、見たという記憶には残っていない・・・。

 

そうです、人は見たいと思っているものしか見えていないんですね。

 

だから同じ景色を見たとしても、人によってその印象や記憶に残っているものは違うんですね。

でもついつい私たちは、同じ感覚を共有していると思ってしまいます。

なので、あとから意見交換すると「あれっ、そうだっけ?」というようなすれ違いが起きてしまいます。

 

これは、カタチあるもののことだけではありません。

人の話を聴いた時も、普段ネガティブ意識の高い人は「危険なサイン」を多く見出します。

反対にポジティブ意識の高い人は、そこにチャンスを見出します。

 

普段、私たちは「現実はひとつ」と思って暮らしています。

しかしそれは自分から見てひとつなのであって、実は人の数だけ異なる像が存在しているというのが実際なんですね。

 

自分のモノの見方が正しいと思うことは大切です。

しかし同時に他人の異なった見方があり、それも間違っているとはいえないと考えることが重要です。

 

意見の対立で行き詰ったと感じたとき、そもそもお互いに見えているものが違うという出発点に立てば、ありたい未来から逆算してお互いの意見をすり合わせることができるかもしれません。

 

「現実はひとつではない」って何か不思議な感覚ですよね。

でもその認識が相互理解の始まりなんでしょうね。