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怒りの裏側にあるもの

「怒り」は嫌なもので、できれば避けて通りたい。

誰かに「怒り」の矛先を向けられるのも嫌だし、自分が「怒り」に囚われるのも嫌。

自分とは関係ないことであっても、誰かの「怒り」の場に居合わせるだけでも気分がよくない。

 

「怒り」の感情って、ホントに人間に必要?

なんて思ったりしませんか?

 

でも実は「怒り」は「身を守るための感情」という大切な働きをしているんです。

身を守るために強いエネルギーを生み出して、自分を脅かす危険に対処しようとしているんですね。

 

それは身体への危険が迫るときだけでなく、心が危機にさらされるときも発動します。

自分のことをバカにされたら怒りが湧いてきませんか?

それは、自分の存在を否定されることに強く反発して自分を守ろうとしているからです。

また、バカにされた怒りやくやしさをバネにして、自分を一段成長させるエネルギーに転換するという働きをすることもあります。

 

なので、一概に「怒り」は悪者というわけではありません。

それ自体は自然な感情で、すべてを否定するものでもありません。

 

ですが、人間関係を悪化させることがあるのもまた事実です。

 

それは、「心の危機」が過剰反応しているから。

「心の危機」は、自分の価値観や考え方が脅かされたり、権威や自分の権限と思っていることが侵害されたと感じられるときにサインを発してきます。

 

特に「こうあるべき」「こうするのが常識」という思いが強すぎると自分の理想通りにいかないものに対して、自分を否定・軽視するものとして映り、自分の正当性を守ろうと怒りを発動します。

 

冷静に考えれば、何から何まで全く同じ認識・考え方の人はいないわけで、たとえ常識と言われるものであっても、細かなところまで見ていけばそこに向き合う態度はそれぞれ微妙に異なってきます。(もちろん大きく異なる場合もあります)

 

人は、自分が「当たり前」と思っていることを、つい他の人も同じように「当たり前」に思っていると考えがちです。

ですが、自分の当たり前は、他人の当たり前ではないんですよね。

そこはお互いに口に出して言わない限り確認がとれないところでもあります。

 

なので、次に自分が「怒り」を感じたとき、真っ先に相手に原因を求めるのではなく、もしかすると自分だけの基準でモノゴトを見ていないか、自分の不安や怯えを怒りという形で相手に返していないか、問い直してみるといいかもしれませんね。

するとそこには、事前の意見交換(=信頼感の形成)が不足していたという事実があるかもしれません。

 

「相手はわかっているだろう」には気をつけたいものですね。

 

 

・・・・と書いている自分が一番気をつけなければいけない人間だと自覚しています。笑