言葉を受け止めてもらうと人は成長する

あれは小学4年生の2学期のこと。

 

担任の先生が病気で長期休養となり、2学期だけ代用の先生がやってきた。

升谷先生という女性の先生だったが、今の自分があるのもその先生のおかげだと思っている。

先生には感謝してもしきれない。

 

当時、僕は引っ込み思案で何をやっても目立たない存在だった。

スポーツが得意な子は輝いて見えたし、

塾に行っていた子は新しく習うことを既に知っていて1才も2才も年上のように感じた。

何だか皆がどんどん先に行ってしまうのを

自分は後ろから眺めているような感じだった。

 

そんなある日のこと。

確か、国語の授業だったと思う。

 

先生が質問を投げかけ、皆が手を挙げて。

自分も後から恐る恐る手を挙げて。

でも、先に手を挙げた人が当たってくれればいいな・・・

なんて思いながら。

 

すると、あろうことか先生は僕を当てた。

 

心臓がドキドキする。

 

しどろもどろになりながら、一生懸命答えた。

 

先生は、僕の方を目を見開いて見つめている。

その光景は今も僕の記憶に焼き付いている。

僕の席は黒板に向かって教室の左側の後ろの方。

前に座る友達たちの後ろ頭の向こうに、僕をやや前のめりに見つめる先生がいる。

 

先生は言った。

「いま若月くんがいいこと言ってくれたよ。これこれこういうことだって。みんな、わかったかな?」

 

先生は、僕のしどろもどろの答えを、わかりやすく要約してくれた。

 

僕のいいたいことが、先生にガッシリと受け止められ

先生の口を借りて、クラスの皆に伝わっていった。

 

心臓がドキドキした。

でも、これはうれしい心臓のドキドキ。

 

 

自分にもいいことが言えるんだ。

 

 

これ以降、自分は積極的に発言するようになった。

 

あの時、先生が僕のしどろもどろの意見を上手くすくい取ってくれたおかげ。

本当に感謝している。

 

不完全でもいいから、思ったことを言ってみる。

そんな「勇気」を先生からもらった。

 

代用教員であった升谷先生は、2学期のみでお別れ。

とてもとても残念だけれども

僕は先生のおかげで自分で前に進んでいけるようになった。

 

 

言葉をしっかり受け止めることは、受け身の動作ではない。

相手の成長に大きな影響力をもたらす「能動的な働きかけ」である。

 

升谷先生からもらった恩を

今度は自分が誰かに返していく番だと思っている。