毎年、夏になるとセミの声がやかましいほど鳴り響いているのに、今年は一向に聞こえてこない。
もちろん、ゼロというわけではないが、鳴き声が聞こえない時間が圧倒的に多い。
静かな夏。
猛暑で、人もエアコンの効いた部屋の中に入ったっきり。
通りには、人の声も姿もない。
ただただ強い日差しがあるばかり。
アスファルトの路面を、時間を忘れたかのようにひたすら焼き続けている。
騒がしいセミはうっとうしくもあるが、いなければいないで寂しいもの。
人のざわめきも同じで、住宅街で人の気配がまったく感じられないのも何だかやっぱり落ち着かない。
何事も「そこそこ」が一番心地いいのかもしれませんね。
そこそこの暑さの中、そこそこセミの声がする公園で、そこそこのボリュームの子供の声が、こそこそ話をする大人の声を割って響き渡る。辺りには、ひまわりやサルスベリの花もそこかしこに咲いていて、時折そこそこの風が木々を揺らしている。ふと、のどに渇きを感じたので、ポケットのそこを探ったら、100円そこそこしかなかった。そこの自販機でジュースでも買うか・・・。
「そこそこ」を使って文章を書いてみましたが、心地よさは感じられたでしょうか?まったく感じられませんでしたね。笑
ただ、日常的なある種の安心感は感じられたかなと思います。笑
何気ない安心感・安定感のある日常は、やっぱり暮らしの大前提として大事ですね。
私たちを取り巻く環境は、毎年同じことを繰り返しているようで、実は少しずつ変わっていて、決して同じではありません。
それは気候だけじゃなく、職場環境だったり家庭環境も同様です。
気づかないうちに、生きづらい環境になっていることもありますから、小さな変化に気づきを得て、私たちを取り巻く環境に対峙していきたいものですね。
はてさて、セミは一体どうしていることやら・・・。