失敗の質

NKHの『神田伯山のこれがわが社の黒歴史』という番組を見ました。

 

名だたる企業の失敗談をオープンにして、ほじくり返すというスゴイ企画趣旨の番組なのですが、そんな嫌~な企画であるにも関わらずネタを提供する企業には、やはり器の大きさを感じずにはいられません。

 

私は、これまでの経験から失敗には2種類あると思っています。

 

ひとつは、本人やチームの意志で新しいことにチャレンジしたけど上手くいかなかったというもの。

もうひとつは、失敗したときの罰や恥じを避けようと忖度やつじつま合わせを重ねて、慎重にしたつもりが、結局、破綻してしまったというもの。

 

言ってみれば、「攻めの失敗」と「守りの失敗」

 

「攻めの失敗」、新しいことにチャレンジしての失敗は、やりたくてやったことですから本人やチームに後悔はありません。もちろん、反省はあって、それが学びということになります。

 

それに、そもそも「成功」は数多くの失敗とそこからの学びの上に成り立っています。

 

元プロバスケットボール選手で、「神様」とも言われるマイケル・ジョーダンはこう言っています。

 

「私は9,000回以上シュートを外した。負けた試合はほぼ300。試合のウイニングショットを任されて26回も外した。私は人生で何度も何度も失敗してきた。それが私が成功した理由だ。」

 

失敗を受け止め、そこから学びながら、チャレンジを繰り返すことで、いくつかの成功を手にする。

冒頭の黒歴史を公開した企業も、数多くの失敗の上にいくつかのヒット商品を生み出してきたのだと思います。

 

「失敗」をオープンにできるのは、「失敗=恥ずかしいこと」とは考えていないから。

「失敗」は、価値ある行動(=チャレンジ)のひとつの表れですから、まったく恥じる必要はありませんよね。

 

 

ではもう一方はどうでしょう?

 

「守りの失敗」、行動して失敗したときの罰や恥じを避けようと忖度やつじつま合わせをし、その場その場をしのいだものの、最終的には行き詰って、破綻してしまう。そういった「ゆるやかに落ちていく失敗」は少なくありません。

 

この場合は、自己責任を回避するよう他人の考え方や組織の意向を推測しながら、それに合うよう探り探り行動するので、自分の本当の気持ちとズレが生じ、ストレスが溜まります。つじつま合わせも、無理やりなので、おかしなところがたくさん出てきてしまいます。こうなっては心身ともに疲弊するばかり。事業が上手くいかなくなっても、自分の考えを検証したわけではないので学びもありません。

 

相手の期待に応えるようにやったけど、上手くいかなかった・・・。

 

こうした失敗は、自分のせいではなく、状況のせい(どうやっても上手くいかない状況だった)になりがちです。

 

「守りの失敗」が現れるのは、「本人が失敗を過度に恐れているか」「組織が失敗を許さない体質か」のどちらか、あるいは両方かです。

 

 

失敗は、誰だって嫌なもの。できれば経験したくないものです。

 

でも、ジョーダンの言葉にもあるように、モノゴトは上手くいかないことの方が多いのが実際です。

 

「失敗」は普通にたくさんある。

問題は「失敗」に対する心構え。

恐れて逃げ回るよりは、受け止めて次に進むための燃料としたいものです。

 

 

それにしてもNHKの番組で、失敗をオープンにした「黒歴史」の主人公のみなさまとそれを包み込んで成長をつづける企業の姿勢には本当に尊敬するものがあります。

 

私もそうありたいものです。