どうするか決められず、決断や行動を先延ばしすることってありますよね。
身近なところでは、「この本を買おうか、どうしようか・・・今日は買わずに、もうちょっと考えよう」なんていうこともあるでしょうし、重大な局面でいえば、「この人と結婚しようか、どうしようか・・・まだ決断できない」なんていうこともあるでしょう。
大きな決断でも、小さな決断でも、何かを決めることは、それなりに考え抜くエネルギーを使いますし、その決断をしたことによる未来の変化を受け入れる勇気も必要となります。
私たちの毎日は、そんな大小さまざまな選択であふれています。それをすべて全力投球で真剣に考えていたら、脳が持ちません。だから、これまでの似たような経験を参考にしながら、簡単に判断できるものは直感的に判断・行動していきます。そうすることでスムーズな日常生活が成り立っているんですよね。
でも、簡単に答えが出せないものは、それなりに時間をかけて考えることが必要です。
ずっと考え続けることもあるでしょうし、一時忘れて改めて考える時間をもつということもあるでしょう。
一時的に忘れたとしても、脳はその間ずっと答えを探し求めています。それが、ある日「ひらめき」として答えが舞い降りてくることにつながります。
一方で、責任を回避する意味合いで、決断を先送りしていると、事態は何も動きません。
何も動かないので「安心」・・・と思っていると、実際は、水面下で事態が悪化している場合が往々にしてあります。
それは、「その決断」を待っている誰かの時間を奪っているから。
仕事で言えば、その決断が遅いばかりに後工程で作業する多くの人たちが短時間で膨大な作業量をこなさなければならなくなります。当然、ミスも起きやすくなるでしょうし、ストレスも溜まります。
結婚で言えば、相手はその決断を待つ間、どこにも進めないもどかしい思いを抱え続けることになります。自分の意志ではどうにもならないので、高いストレス状態が続き、お互いの関係にとってもプラスに働きません。
なので、熟考は大事ですが、相手がいる場合は、その人たちの時間も自分が使っているという想像力が大切です。
人生は、仕事でもプライベートでも迷い悩むことがたくさんありますよね。
悩むのは無理もないことですし、そこを考える習性を持っているのが人間です。
でも同時に、常に誰かと関係している社会的生き物でもあるのが人間ですから、相手がいる場合の「決断」はお互い合意の時間の目安をもって、それに則って熟考・行動するのが理想的。それが他者を思いやることかなと思います。
先延ばしすることは誰にでもある。
でも、それがクセになって、誰かの時間を奪っているのだとしたら、それは本来、自分の意図するところではないはず。
もしも「先延ばしぐせ」があるようなら、これを読んだ今が自分を変えるチャンスかもしれませんね。