人の社会はジグソーパズル

みなさんは、ジグソーパズルをやったことがありますか?

 

一見同じような形のパズル片ばかりですが、微妙に形や絵が違っています。

 

たくさんのパズル片から、パチンと合うものが見つかった時はすごくうれしいのですが、反対に、合わないと大変。合うものが見つかるまで延々と探し続け、試行錯誤を繰り返します。「忍耐の時間」です。笑

 

 

それはまるで、「人と人との出会い」や「人と集団・組織との相性」のよう・・・。上手くかみ合うと、お互いの持っている「絵」がつながって、世界が広がっていきます。でも、かみ合わないと・・・。

 

 

そうして苦労しながらできあがる絵。パズル片が多いほど大変です。量が多くなることはもちろんですが、違いがほとんどないような絵をもつパズル片が増えて、ピッタリ合うものになかなか巡り合わなくなります。似たような絵を持っているからといって、形はひとつひとつ違いますから。それぞれ唯一無二。代替は利かないわけです。

 

そこも人間と同じ。同じ職種にあっても、考え方ややり方はひとそれぞれ。個性があります。

 

個性が邪魔なものだと考えればロボットに置き換わっていくでしょうし、個性を豊かさと考えれば、そこで生み出されるものは人の数だけ無限に広がっていきます。ただし、かみ合わない試行錯誤の時間も当然発生します。でも、人は一人ひとり違うんだから、それは自然なことかもしれませんね。

 

すったもんだしながら、それでもどうにか上手く「つながった」ときのモノゴトの推進力や達成感には、それまでの苦労が吹っ飛ぶ、大きな喜びがあります。バラバラな「絵」が上手くつながって「ひとつの大きな絵」が現れれば、やっぱりみんなうれしいですよね。

 

パズル片の少ないジグソーパズルの場合、ひとつひとつのパズル片の「絵」が比較的はっきりしていて、わりと悩むことなく作業が進みます。

 

例えれば、発展段階の小さな町や企業組織。人が限られているので、必然的に自分のできることをベースにその地域や組織に必要とされる役割を担っていかなければなりません。あるいは、誰かがやらなければならない役割があるから、自分がその部分をできるように頑張って身につけるということもあるでしょう。

 

そこで「できあがる絵」は小さなものかもしれませんが、「一人ひとりの絵」が占める割合は大きなものがあります。一人ひとりの充実感はきっと高いものがありますよね。

 

 

一方、パズル片の多いジグソーパズルの場合、出来上がった時には「大きな絵」となりますが、ひとつひとつのパズル片は、ぱっと見、何だかわからないものもあります。空の「青」だけ・・・とか。笑

 

これは、大都市や大企業にあてはまるのかもしれません。確かに「大きな絵」の中に自分はいるのだけれど、あまりにも狭い領域に特化しすぎて(空の「青だけ」のパズル片が数多くある中の一つ、とか)、自分の貢献度が相対的に小さく感じられて、充実感が得られないということもあるでしょう。そうなると、パズル片同士のつながりも弱くなり、ポロポロと欠けていってしまうかもしれません。

 

そうならないためには、「大きな絵」が私たちの社会にとって大切なものであることを、そこに参加する誰もが理解し、感じられることが必要になってきます。自分は小さな一片だけれども、社会にとって「欠かせない一片」であるという意味付けが重要です。

 

これが「大きな絵」、すなわち「組織におけるビジョン」の重要性です。

 

社会的に意義ある「大きな絵」を、そこに集まったみんなで創り上げていく。

 

日本社会は今、やや衰退感があるからこそ、今一度そういった構想力と熱量をもって、ビジョンを描く必要に迫られているのではないでしょうか。

 

だからこそ私は、組織視点からみた「ブランド・コンサルティング」と、個人の存在意義実感を支援する「心理カウンセリング」を並行して行っていくことで世の中に役立ちたいなと考えています。人や社会が必要としていることで、そこに隙間を感じるなら、それを埋める誰かがいてもいい。それが自分で、そこにミッションを据えています。

 

 

ん~~~、まあ言ってみれば、パズルの隙間を埋めて固める「糊(のり)」みたいなもんですかね。笑