話がかみ合わない

会社の会議にしろ、家族や知人との会話にしろ、話が何だかかみ合わない時ってありませんか?

 

人は、自分が考えるのと同じように相手も考えているはずだと思って話し始めます。だから、前提となる背景情報を説明することを省略して、いきなり意見や行動を求めたりします。でも、受け手側にとってみれば状況がよくつかめませんから、何について、どう答えればいいのか、さっぱり見当がつきません。そういった場合、あいまいな返答になりがちで、その反応を見て話し手は「わかってもらえない」「話が通じない」と感じていらだちをおぼえたりします。

 

 

また、話し手が“聞きたい答えをもって”話しかけてくる場合もあります。しかも“その答え”をすぐ聞きたいといった感じで。

 

これには「自分の考えに賛成する意見を聞いて安心したい」という心理が働いています。これを「確証バイアス」といいます。人間誰しも否定されてばかりでは生きるのがつらくなってしまいますから、ある意味、必要な心の作用で、誰もが持っている「心理の偏り」です。

 

ただ、これが行き過ぎて、いつもいつも「自分の考えが正しい」という回答を求めていると、やがて人間関係に影響が出てきてしまいます。他人の意見を聞かない人には、誰も近づきたくないですもんね。無理して、その人の意見に合わせていると、自分を押し殺すことになるので話を聴く側が心を痛めてしまいます。

 

その一方で、「自分の考えが正しい」と常に求める人の心にも、根底に「自分に対する自信のなさ」や「失敗に対する恐れや過度の不安」があるものと推察されます。そういった人は自分の弱さから目をそらしがちなのですが、人間は誰しも弱いもの。自分の弱さに向き合い、改善していった方が、長い目で見て健康で心豊かな人生になるのではないかと思います。

 

 

従来、日本では意見をすり合わせる「話し合い」に長い時間をかけてきました。そこで折り合いをつけて、合意できたら、みんなで協力して一気に前に進むというスタイルです。

 

しかし近年は、時代変化により高速・効率化、確実な成果と責任が重視され、会議時間の短縮、相手を論破すること=説得力の高さの証明=強いリーダーシップ、集団より個人的カリスマ性が求められる風潮が強くなりました。

 

そこで抜け落ちたのは、「状況の共有」と「自分と違う意見の吟味」。すなわち「聴く・理解する・考える」といった他者との関係の中で「深く思考する時間」です。

 

話がかみ合わないのは、人間一人ひとり違うのだから当たり前。そこは問題ではなく、真の問題は、話がかみ合わない状態を時間をかけてすり合わせていくことへの意義と意欲が消えかけていることではないかと思います。

 

タイパ(タイム・パフォーマンス)がキーワードとなる時代。

 

みなさんにとって、時間をかけるに値するものって何でしょう?