人見知り

自分は「人見知りだ」と思っている人は大勢いるのではないかと思います。

 

かく言う私も、かなりの人見知りです。笑

 

やっぱり初めて会う人というのは、緊張しますよね。

 

「どんな人だろう?」

 

「話がうまく合うかな?」

 

「いい人だといいけど・・・」

 

いろいろな思いが頭を巡って、結局接触を避けてしまうということもありますよね。

 

 

人は「未知のもの」に出会ったとき、不安を感じます。それはある意味、生物としては自然なこと。もしも、「未知のもの」が危険なものだったら、うかつに近づいて、最悪、命を落としてしまうかもしれませんものね。

 

警戒心が発動することで、私たち人間は長い歴史を生き延びてきました。

 

いま自分がここにいるのも、先人たちが生き延びてきたからにほかなりません。

 

 

一方で、すべてのことにずっと警戒したままでも、孤立して生きていけません。

 

人間は弱い動物なので、協力し合って安全・安心を確保するための「社会」を形成し、喜びを追求することで、その社会(生活環境)を発展させてきました。便利でおいしい暮らしができるのも、人が協力し合ってきたからですよね。

 

 

「警戒」から「協力」へ。

 

そのために、私たちはちょっとずつ自己開示しながら、安心・安全を確かめ、お互いの距離を縮めていきます。

 

その過程で、話が合えばどんどん距離が縮まりますし、話が合わなければ社交的な関係にとどまります。

 

人は一人ひとり違うので、全員と近い距離の関係を築くことは不可能です。中には、まったく合わない関係も出てきます。そんなとき、「自分は受け入れられなかった」という思いを抱くかもしれませんが、相手も同じように感じています。それは、そういうものとして受け入れ、必要以上にその関係を追求しないことが大事です。

 

また、「人は一人ひとり違う」ということは、自分とまったく同じ考えの人間もいないということです。

 

「自分のことを誰もわかってくれない」と思う時があるかもしれませんが、他人は自分ではないので、完全な理解はそもそも望めません。ある部分は共感されて、ある部分は共感されない。ちょっと心が傷つき、悲しい気持ちにもなりますが、そうして自分と他人とは違うものだと自己認識を深めて、それぞれの人が違った個性を持ち寄ることで「協力」が始まっていきます。

 

出会いは、自分が受け入れられない「恐れ」の方に傾き過ぎると「人見知り」となって、自分だけの閉じた世界にこもってしまいがちです。そこは、いったん「安心・安全」ではありますが、長い目でみると「協力して支え合う安心・安全」が広がっていかず、のちのち頼れる人が自分しかいなくなるので苦しくなるかもしれません。

 

 

困った時に本当に助けてくれる人が、これまで出会った人の中に必ずいます!(これは実感!)

 

 

「人見知り」をいっぺんに克服しようとしたら尻込みしてしまいますが、「今日はちょっと勇気を出してみよう」など時折りチャレンジするだけでも全く違います。

 

そうして今もチャレンジしているのが私です。笑