人には出来事の幸不幸はわからない

生きていると、いいこともあれば悪いこともありますよね。

 

私もその度に一喜一憂していますが、いいことでいい気分になるより、悪いことでふさいだ気持ちになる方がインパクトが大きく、長く尾を引いてしまいますよね。

 

人には「ネガティビティ・バイアス」というものがあって、良くない出来事の方により注意を向ける性質があります。生存していくためには危機を回避しなければなりませんから、必要なセンサーであると言えます。でも、ネガティブなことに長く囚われていると、かえって生きるエネルギーがどんどん消耗していってしまいますよね。

 

良くない出来事を経験すると、「また同じようなことになったらどうしよう・・・」と想像力が負の方向にどんどん膨らんでいきます。

 

そうした時、私たちの視野はとても狭くなっています。その出来事に対応するために、焦点を絞って集中しているんですね。ついついそのことばかり考えてしまいます。

 

 

では、広い視野で見たら、何が見えるのでしょうか?

 

 

中国の故事に『塞翁が馬』という話があります。

 

大雑把に話しますと、ある国に年配の男がいて、馬を飼っていたのですが、ある日その馬が逃げてしまいます。近所の人たちは男になぐさめの言葉をかけたのですが、男は「これがいい出来事にならないとどうして言える?きっといい出来事になる」と言ったそうです。

 

しばらくすると、逃げた馬が素晴らしい馬を引き連れて、男の元に帰ってきました。それを見て、近所の人たちは祝福してくれたのですが、男は逆に「これが禍(わざわい)にならないとどうして言える?きっと禍になるだろう」と言ったのです。

 

男には乗馬が好きな息子がいて、新しい馬に乗ったところ、ふとした拍子に落馬して太ももを骨折し、足が不自由になってしまいました。近所の人たちは、男と息子にお見舞いの言葉をかけたのですが、男はまたもや「これがいい出来事にならないとどうして言える?きっといい出来事になる」と言いました。

 

しばらくすると、隣国との間に戦争が起こり、多くの戦死者が出る事態となってしまいましたが、男の息子は足が不自由で戦いに参加できなかったため、年配の父とともに命を保つことができました。

 

 

このように、いいと思えたことが禍に転じたり、悪いことに見えたものが実はよいことにつながっていたりして、実際のところ人間には出来事の幸不幸を見極めることはできない、という教えを語るお話です。

 

 

悪い出来事は、それ単独ではもちろんよくない出来事ですから、当然、辛く悲しい思いをします。しかし、それがこの先どのような意味をもって将来につながるかは誰にもわかりません。むしろ、その出来事をよい方向に生きるきっかけとして利用するぐらいの心構えが持てるといいですね。それが、広い視野をもつことの効用なんだと思います。

 

先のことは誰にもわからない。

 

だったら、起きてしまった出来事をいつまでもくよくよ考えるのではなく、それがどうより良い人生につながっていくのか、一歩先の未来に目を向けてみませんか?

 

禍転じて福となす、の心持ちですね!