以前読んだ本に『辺境生物はすごい!』(長沼毅 著)というものがあります。
生物は、人が「苛酷だなー」「こんなところで生きていける生き物なんているの?」と思うような極地や深海、砂漠などにも棲んでいて、しかも活発に繁殖していたりします。すごいですよねー。
でも、「すごい」と思うのは我々目線の話であって、当の生物にとってみれば、その環境が心地いいんですよね。私たちは、ついつい自分の感覚と他者の感覚を同じとみてしまいますが、実際はそれぞれに違っているんですよね。
地球には様々な環境があり、その地固有の環境に適応進化したものが、そこで繁殖を続けています。
考えてみれば、私たちも地域文化、組織風土、家庭環境・・・実に様々な環境で暮らしていますよね。
人間は、他の生き物と違って、自分たちが暮らしやすいように自然に大きく手を加えたり、ルールを作って、自分たちで環境を作り上げている側面が強いですよね。
そういった環境にあっては、誰かの棲みやすさが必ずしも自分の棲みやすさにつながるとは限りません。
子供のころは養ってもらわないと生きていけませんから、家庭や学校など与えられた環境に適応しようと頑張ります。意識的にしろ、無意識的にしろ、あの手この手で自分に関心を向けてもらおうと大人や周囲に働きかけます。
そうして試行錯誤しながら、自分なりの他者との関係の持ち方の「型」を作り上げていくわけですが、時にこれが大人になってから自分を苦しめたりすることがあります。
厳しすぎる家庭、反対に過保護すぎる家庭、あるいは兄弟姉妹間の争い、学校でのいじめ、勉強や受験などの競争環境など、こうした苛酷な環境に無理やり合わせようと「型」が作られていくのですから「ゆがみ」が生じるのも無理はありませんよね。
そうした中で、ポンと社会に出ても、いまや社会も不安定ですから、どこに適応進化していけばいいのかわからなくなってしまいます。
なんだか人間は「辺境生物」より苛酷な環境に生きているんじゃないかと思えてきました。笑
でも、これだけ多様な世の中ですから、必ず自分にフィットする環境があるはずです。なければ自分で創ることも人間ならできます。
ただ、「フィットする環境を探し移動する」「自分で最適環境を創る」のどちらにしても独りではできません。何かしらの関係性の中で、自分の暮らしの根を張る必要があります。
なので、よい人と出会ったら、その縁は大事にしたいですよね。
私も、これまで多くの人に助けてもらいました。本当に感謝です。感謝しかありません。
一方で、自分も誰かの役に立っているか、といえば・・・正直まだまだですね。今自分のできることで、誰かの役に立てるよう、精一杯生きないと、ですね。
そうして精一杯生きていると、様々なつながりの中で自分固有の生存環境ができるのかもしれません。それは、他の人から見れば「辺境」かもしれませんが、自分にとっては生き生きと暮らせる環境です。
そこは辺境の地ではあるけど、私にとっての楽園であり、中心の地でど真ん中。
さあ、みんなで辺境生物をめざしましょう!笑