桜が咲く季節となりました。
なんだかワクワクしますね。
もちろん近所でも早咲きの桜は既に咲いていたりもしますが、テレビなどで報じられる開花予想が、カウントダウン的な「いい意味での煽り(あおり)」となって、期待とじれったさを感じます。じれったいけどあっけなく早まらないでこのカウントダウンのじわじわを味わいたい・・・そんな複雑な気持ちが私の中で渦巻いています。
東京での開花予想は、これまで3/21でしたが、現在は3/24と少し後ろにずれました。
年初は暖かい日が続き、3月に入ってもちょっと暑さを感じるような日もありましたが、ここにきて「寒の戻り」もあって、開花が遅れているようです。
お花見の計画を立てている人は、そのわずかなずれでも一喜一憂しているのではないでしょうか。
自然が相手だとなかなか難しいものですよね。
・・・というか、こうした気まぐれな自然の大雑把なリズムが生き物の本来のリズムなのかもしれませんね。
その植物にちょうどいい温度になれば花が咲き、その花に虫が訪れ、そこへ花の蜜や虫を目当てに鳥たちもやってきて、あちらこちらへと飛び回り、活動が活発になっていきます。
一方、私たち人間は安定を手に入れるために、予測不能なことを極力減らしていく「計画的な社会」を計算しながら創ってきました。だから、こうして人間は大繁殖しているわけですが、自然と共に暮らしている以上、予測不能なことはゼロにはなりません。
「計画的であること」はいい面がたくさんありますが、「計画通り」を追求し過ぎると必ずといっていいほど無理が生じます。特に、経済活動面で「計画通り」を追求すると、不正や心身へのダメージが生まれがちです。
予測をし、計画を立てて行動するまではいいのですが、結果はコントロールできるものでもありません。
工業的な生産プロセスは結果をコントロールしようとするものですが、それは人間の営みのごく一部であって、それを取り巻く大きな環境は計算しきれない要素が相互に干渉しあう不確実な世界です。
「計算通りにいかない! どうしよう!」
「計算通りにいかない! イライラする!」
こんな思いで苦しんでいたりしませんか?
計算通りにいかないのは当たり前。むしろ、出てきた予想外の結果をどう解釈し、次にどう活かすか。あるいは許容してどうしていくかを考えることが大切。それが、不確実な自然の世界での「適応=生存」ということになります。
いいんです、計算通りにいかなくって。
お花見の予定日に花があまり咲いていなくても、がっかりすることはありません。
むしろ、所々に咲いている花を見つける方が発見の喜びがあって楽しいかもしれません。
今、目の前に広がる風景をどう解釈するか。
それは、あなたの自由なんです。
さぁ、楽しんでいきましょう!