自分ができることをやる

テレ東の出川哲朗さんの番組『充電させてもらえませんか?』が大好きで、毎回楽しく見ているのですが、先日、充電先のお宅の奥さんがとても素敵なことを言っていたのが強く心に残りました。

 

「自分ができることをやって、誰かがうれしいといってくれたら、それでパーフェクト」

 

実に、素晴らしい考え方だと思いませんか?

 

誰しもみな、自分ができることというのは限られていますよね。人間は全知全能の神様ではないのであれもこれもできるわけではありません。そんな未熟で、不器用な部分をたくさん持つ自分であっても、自分なりにできることがあり、それを精一杯やる。その結果、誰かが喜んでくれたら、それだけで充分。

 

誰かを喜ばせるためにやるわけではないし、ほめ言葉や感謝の言葉が欲しいからやるわけでもない。

 

社会の一員として自分ができることを実直にやっていく中で、たまたまその行動に触れた誰かの気持ちが明るくなったのなら、それだけで自分は幸せ者である。

 

 

なかなか、こういった考え方を持つことはできませんよね。

 

とかく人間は承認欲求が強くて、誰かに認められたり、褒められたりすることを求めてしまします。

 

でもそれが逆に自分を苦しめたりもします。小さな子供はちょっとしたことでも何かできると大人に大げさに褒めてもらえますが、ちょっとでも大きくなれば、そう簡単に褒めてもらえることはありません。大人になればなおさらです。

 

すると、人から称賛を浴びる人がうらやましく思えて、それと自分を比較してみじめな気分になったり、自分は正当に評価されていないと不満を感じるようになったりします。

 

人には得意・不得意がありますから、得意なことは人それぞれです。そしてその得意は何から生まれるかというとその人の興味の方向性です。好きなことは、じっくり観察しますし、何度も繰り返し行いたくなりますから、技術も上がっていきます。また、やっていて楽しいですから、その楽しさが相手にも伝わり、いい関係も育まれます。

 

今の世の中、自分の得意・不得意に関わらず、一度得た安定と思われる場で、自分を殺しながら与えられた役割を上手くこなすことに神経をすり減らしている人がとてもたくさんいるように感じます。

 

組織の機能的役割があって、そこにスキルを当てはめていく。役割に対しスキルが不十分であれば、別の人と交換する。みんな交換されるのはイヤだから何とか無理して頑張る・・・。そんな場に人間性は感じられませんよね。もっと働く人やチーム起点の活力ある組織の在り方はないものかと思います。

 

ただ、組織にそれを求めても限界はあります。

 

組織を形作る根底は、やっぱり人間ですから、一人ひとりが自分を他と比較し過ぎず、自分の関心のベクトルを見定め、自分のできることに専心していく必要があるのかなと思います。

 

「自分ができることをやって、誰かがうれしいといってくれたら、それでパーフェクト」

 

そう考える人が集まった集団は、相当活力のある素敵な場になるのではないでしょうか。

 

いい職場、あるいはいい家庭をつくるのに、他に求めず自分にできることはまだまだあるのかもしれませんね。