NHKで不定期にやっている『病院ラジオ』というテレビ番組がある。
お笑いコンビのサンドウィッチマンが病院に特設ラジオ局を開いて、患者さんやその家族から話を聴き、リクエスト曲を流すという構成だ。
話し手としてラジオブースを訪れる患者さんは、皆なにかしら重篤な病気に直面した人たちで、突然の病気の発覚や死の覚悟、苦しくも前向きな闘病生活などを語ってくれる。話し方は人それぞれだが、皆、静かな強さを瞳に宿している。
サンドウィッチマンの傾聴力がまた素晴らしく、ブースを訪れた人たちに温かく真剣に向き合いつつも、時折、笑いを交えることで緊張感や重苦しくならないよう絶妙に会話のかじ取りをしている。
そうして話し手からこぼれ出た本音は、ラジオの電波にのって大切な誰かの元へと届く。また、ラジオとして聴いている多くの入院患者や医療関係者の耳にも流れ着き、その言葉は励ましや感謝となって大勢の人を勇気づけていく。
ラジオという形式は、面と向かって話すことが苦手な日本文化の特徴を上手く補ってくれる、いいコミュニケーション方法なのかもしれない。
病院とは、基本的に機能的でパーソナルな空間である。
身体に問題を抱えた人が、医療機関の人たちの知識とスキルと管理に助けられながら、自分の病と向き合っていく場所である。医師や看護師の方々の声掛けや気遣いももちろんあるだろうけれど、大きく見れば患者個々人が抱える病を治しにくる機能的な場所である。
そこに、ラジオという情緒的な「コミュニティ・メディア」が加わったのが『病院ラジオ』。
身体を治すだけでなく、心のサポートまで得られるのだから、それはもはや最強だ。
病気になると「なぜ自分だけがこんな・・・」というネガティブな気持ちにふさぎ込んでしまうが、自分と同じように苦しんでいながらも前向きに生きている人の本心が聴ければ、「辛いのは自分だけではない。自分も回復に向かってがんばろう」という気持ちが芽生えてくる。
病院という個々の患者の寄り合い所帯が、前向きな雰囲気に満ちた「ひとつのコミュニティ」として感じられたら、それは恐らく身体にもいい影響を及ぼすだろう。
これは社会全体も同じかもしれない。
現代は、地域社会が希薄になったり、家族的な社風の企業も減って、個人戦の競争社会となった感がある。
しかし、人間個人個人は弱いから、そのゆがみは心に出やすい。心への負荷はやがて身体の不調となって表れることもしばしばある。
そんな時、自分は誰かにとっての『病院ラジオ』になることができるだろうか?
あの真摯な脱力感のサンドウィッチマンのように。